ようやく普通の一日

今日はマトモな時間に起きてマトモな時間に飯を食い、マトモな時間に散歩しマトモな時間に昼を食って帰ってきた。これでまだ14時だからそっからゲームやってるだけで終わったが、それでも露骨に一日のターン数が増えた実感があるから素晴らしいものだ。

 

飯を食った場所は古い喫茶兼ファミレスといった趣の店で、昔は喫煙可能だったが今は全席禁煙になっている。

なぜなら健康増進法とやらで喫煙可能店には未成年が入場できないようになっているため、煙草をとると客を手放すことになってしまうからだ。

自分は喫煙者ではないけど、喫煙と不可分の環境に長いこと居たので近くで喫煙されても不快感よりも安心感のほうが勝ることもあるのでまあ似たようなものだろう。

 

ともかく、健康被害についてヒステリックにわめきたてることで差別と迫害がここまで公然と行われることになるとは思わなかった。この10年ほどで電話ボックスは消え、代わりにそのスペースには喫煙者が押し込まれている。いかに健康に悪かろうが、風邪をうつす方がよほど健康には悪いだろう。

喫煙に対する流れは欧米の流れをまるっとなぞっていて、欧米人のマネをして喫煙したけどなんかダメってムードだから嫌煙しますというだけだろう。で、その欧米でキャンペーンが盛んになったのはキューバ革命のあとで、あそこの国はタバコの名産地だったりするというくだらない邪推もできる。

タバコなんかより酒のほうが死者を出していて、依存症はおろか急性中毒で毎年数人くたばるのに、酒には見目麗しい芸能人がCM起用され続けている。

そもそも健康になって何するんだ?心肺機能は良くなるだろうけど、時代はどんどん人を走らせまいと進化しているじゃないか。

 

まあこんなことを喋っても意味がなく、問題になっているのは「悪い」とされるものに対しては往々にして差別と迫害が公然と行われるという点だろう。

生きている限り人間はストレスに晒され続ける。

なかでも原因がよくわからない、相談できないといったものは上司の臭いが何となく無理とか、職場の空気が合わないとか、夫が気持ち悪いとかそういった類の動物的な感覚に依存したものだったりする。

そのストレスはなかなか発散しづらく、捌け口として人間は悪人を探すんだろうな。分かってもどうしようもない。ストレスってやつは脳味噌で抑え込むにしろ限度があるのだ。